(非公式翻訳)
尊敬する国民の皆様、
臨時政府要人の子孫と光復会員の皆様、
大韓民国臨時政府は
今日のわれわれを作ったルーツです。
大韓民国の法統で、精神です。
本日われわれは大韓民国臨時政府が歩んできた
偉大な独立の道を生々しく称えるために集まりました。
熾烈な歴史のシーン、熱かった人々の人生を
臨時政府記念館に永遠に刻み込むためここにいます。
2017年12月、私は大韓民国大統領としては初めて
「重慶大韓民国臨時政府庁舎」を訪問し、
独立運動家たちの魂と息が溶け込んでいるそこで
「臨時政府記念館を建てる」とお約束いたしました。
2015年に記念館建設を初めて提案し、建設に向けて努められた
大韓民国臨時政府記念事業会と金滋東会長、
記念館建立推進委員会と李鍾賛会長から
これまで多大なるご尽力をいただきました。
大韓民国臨時政府樹立101周年を迎えた本日、
その記念と共についに起工式を開くことができて非常に感無量な気持ちです。
皆様のご尽力に深く感謝し、
一世紀にかけて臨時政府の歴史と精神を継承してきた
臨時政府要人の子孫と光復会員の方々に
国民を代表して深い尊敬を捧げます。
国民の皆様、
1919年4月11日、大韓民国臨時政府は
日本帝国主義に奪われたわが民族の半万年の歴史を受け継ぎ
「民主共和国大韓民国」を樹立し、
われわれが独立国の民主政治の自由民であることを宣言しました。
異民族の支配を拒否するのはもちろん、
君主主権の歴史を国民主権の歴史に変え、
専制君主制から民主共和制の新しい歴史を切り開きました。
ここ西大門刑務所には
三・一独立運動の「純潔な男女の血」が染み込んでいます。
三・一独立運動から目を覚めた平凡な人々が独立運動家となり、
彼らの魂がここに込められています。
三・一独立運動が生んだ大韓民国臨時政府は
世界史上空前絶後の27年間の独立運動を展開し、
とうとう解放と自由を勝ち取って
今日の民主共和国、大韓民国へとつながりました。
臨時政府は苦難と逆境の道を歩みましたが、
決して独り残されたことはありませんでした。
国内と中国、沿海州の同胞はもちろん
米ハワイをはじめとするカルフォルニア州の同胞たち、
メキシコのサトウキビ農場とキューバのエネケン農場の同胞たちまで
血と汗が染み込んだ義援金を臨時政府に送りました。
1935年、日本の監視と攻撃を避けて上海から脱出した臨時政府は
杭州、鎮江、長沙、広州、綦江などの都市を経て
1940年、重慶に到着しました。
独立の熱望を秘めた民族がいたため
なんと6千キロメートルを超える長い道程に耐えられたのです。
臨時政府は1941年に日本帝国主義との全面戦争を宣言し、
1942年に独立運動勢力における左右合作で
抗日武装闘争能力を集結させた光復軍を創設、
ミャンマーとインドでイギリス軍と共に連合作戦を遂行しました。
臨時政府の熾烈な独立闘争と持続的な外交努力により
1943年の「カイロ宣言」でわれわれは
植民地諸国のうち唯一、独立を保障してもらうことができました。
大韓民国臨時政府が本当に偉大なところは
奪われた国を取り戻すための抗戦の中でも
民族の歴史を変化させ、民主的能力を発展させたことにあります。
忍耐と献身、連帯と協力により
民主共和国・大韓民国の土台をしっかり固めたのです。
臨時政府の最高位に就いていた石吾・李東寧先生は
「山から滴り出る水が、岩石に穴をあける(山溜穿石)」という
左右の銘を残しました。
逆境に挫けなかった崇高なる愛国心の根底には
平凡な人々が見せてくれた勇気に対する信頼と愛情があり、
不義に堂々と立ち向かう人間の偉大さがありました。
長い年月にかけて国の独立に一生を捧げた
臨時政府の先烈たちに改めて深く敬意を表します。
国民の皆様、
われわれが大韓民国臨時政府記念館を建設する最も重要な理由は、
臨時政府の精神を
今日の歴史としてわれわれのそばに置くためです。
臨時政府の独立運動は単なる「反日」にとどまるものではありませんでした。
「自主独立」と共に人間の尊厳を本質とする「自由平等」、
性別、貧富、地域、階層、理念を合わせる「和合と統合」
人類の文化と平和に貢献する「人類愛」という
偉大な精神を遺産として残してくれました。
本日金元雄光復会長が聞かせてくださいました「大韓民国臨時憲章」と
尹琦燮知事の母方のひまご娘、
チョン・ゴウンさんが朗読した「大韓民国憲法」から
われわれはその日の精神を余すところなく感じることができます。
大韓民国臨時政府記念館には
国の主人として立ち上がったこの地の平凡な人々、
大韓民国を建てた数多くの先祖たちの物語が盛り込まれることになります。
教師と学生、宗教関係者、警察や官僚、医師と看護師、
名のない背負子や商人、盲人、鉱夫、小作人、作男、妓女たちも
独立運動歴史における堂々たる主役として刻み込まれることになるでしょう。
またわが軍と警察のルーツも一緒に残されるものになります。
新興武官学校から始まり光復軍で成果を収めた陸軍、
米カルフォルニア州に設立した「韓人飛行士養成所」からスタートして
光復軍総司令部「空軍設計委員会」の土台を作った空軍、
独立運動家とその家族、民間の商船士官たちが自主的に集まって作った海軍、
われわれは臨時政府記念館で「国民の軍隊」のルーツも
やはり独立運動と臨時政府にあることを誇らしく思えることになるでしょう。
臨時政府の初代警務局長だった白凡・金九先生が
警察の任務として強調していた「自主独立の精神と愛国安民の尺度」は
今日まで継承される警察精神の源です。
私たちは「民主・人権・民生」警察のルーツが臨時政府から始まったことを誇りに思えるようになるでしょう。
光復がわれわれの力で実現できたことを
私たちは2021年に完成される
国立大韓民国臨時政府記念館に永遠に刻み込ます。
親日ではなく独立運動が
わが歴史の主流であったことを確認することになるでしょう。
政府は三・一独立運動の遺産と臨時政府の精神が
今日に息づくようにし、
わが未来世代が新しい歴史の堂々たる主役になり得るよう、
独立運動の歴史を称えて発信する作業を
片時も止めないようにします。
今年3月19日の国務会議で「国立墓地法」改正案を
議決しました。
孝昌公園の独立有功者墓域をはじめとする
全国の独立有功者合同墓域12か所と
韓国戦争における戦没軍警などが眠っている国家有功者合同墓域の45か所を
国家管理墓域に指定しようとするものです。
昨年から
孝昌公園を「独立記念空間」として整備する事業も推進してきて
います。
2024年になると国民たちが日常の中から
独立運動家の人生と精神を称えることができる場所へと生まれ変わることになります。
国家有功者への報勲もさらに強化します。
国家有功者とその家族が
手近なところで便利に診療を受けられるよう、
委託病院を昨年の320院から今年は420院まで増やし、
2022年までは640院まで拡大します。
今年光州報勲病院リハビリセンターの開院をスタートに、
2022年まで4つの地方報勲病院にリハビリセンターを充実化すると
診療とリハビリー、療養を連携した診療体制も
より便利に構築できるようになります。
今年11月には江原圏の療養院が完成されます。
来年には全羅北道圏の療養院も支障なく開院できるように
万全を期してまいります。
「独立・護国・民主」に献身した
国家有功者とその家族に対する報勲と礼遇は、
国家の存在価値と品格を判断するバロメーターです。
政府は国家有功者とその遺族たちが日常で誇りを
持てるように
国の道理に尽くしてまいります。
尊敬する国民の皆様、
臨時政府要人の子孫と光復会員の皆様、
100年前、先烈たちが
必ず光復が訪れるという希望を抱いて
互いを励まし合いながら苦難を克服したように、
本日のわれわれは連帯と協力により「新型コロナ」の
非常で厳しい状況を乗り切っています。
市民たちは成熟した自制力と忍耐から日常を譲ってくださり、
互いに分け合って励まし合いながら一緒に困難を克服しています。
いかなる苦難でも挫けることのなかった独立先烈の強い精神が
わが国民の胸に息づいていることを実感します。
「新型コロナ」に一緒に立ち向かい、われわれは
「共に生きる世界」について一層深く理解できるようになりました。
自分の行動が周辺にどのような影響を与えられるかについて省みて、
「私たち」のための実践に参加しています。
「新型コロナ」を越えて今後われわれが迎えることになる社会・経済の危機は
さらに大きいものになるかもしれません。
しかし、どのような危機が訪れようが、われわれは
国民の統合された力で再び危機を克服していきます。
独立先烈たちの精神と
われわれに与えられた責任の重みを深く刻み込んで、
「新型コロナ」の克服に向けてわれわれは連帯して協力し、
さらには世界とも連帯して協力していきます。
大韓民国臨時政府は苦難と逆境に立ち向かうたびに
われわれに変わらぬ勇気の源となってくれました。
大韓民国臨時政府記念館は
われわれがより良い民主主義を目指して前進するときも、
分断と敵対を越えて平和と統一を夢見るときも、
包容と共生という人類の価値を実現していくときも、
いつも最も大きい力になってくれることでしょう。
ご清聴ありがとうございました。